こんな人生をしっていますか?

自分はすでに65歳。

苦労の末、立ち上げたビジネスは大繁盛。

・・・のはずが、自分の力の及ばない
原因で、そんな努力も水の泡。

手元に残った財産はわずか。
手に入る年金もほんのわずか。

あなたなら、こんな悪夢のような
逆境に立ち向かえますか?

そして成功をおさめられますか?

その成功をおさめた人物がカーネルサンダースです。

彼はある言葉を残しています。

私には、たった2つのルールしかなかった。
できることは全てやれ、そして最善をつくせ。
それが、何かを達成する感覚をつかむ唯一の方法だ。
(カーネル・サンダース)。

「何かを失い、そこから何かを得る」

サンダースの人生はそのようなものでした。

1920年代終わりに、ケンタッキー州でガソリンスタンドを始めます。
 サービス精神旺盛な彼の店は、大繁盛します。しかし、大恐慌で売上は激減。
 1930年にこのガソリンスタンドは手放します。

同じケンタッキー州のコービンという町で、再度ガソリンスタンドを始めます。
 このガソリンスタンドに隣接した物置で、テーブル一つと椅子5席のサンダース・カフェを始めます。このサンダース・カフェが好評で有名に
 なり、規模を拡大して、24時間営業を始めることになります。
 ケンタッキー州への「料理への貢献」 により、1935年、「ケンタッキー・カーネル」
 の名誉称号が贈られる。 (この時点で45歳)

1937年にはモーテルを併設した、142席のレストランに成長します。しかしまたしても
カーネルサンダースに悲劇が訪れます。なんとモーテル、店舗とも火災で全焼してしまったのです。
そこであきらめず1941年、147人収容のレストランを再建。料理の味とともに、
 品質・サービス・清潔にこだわり、現在のファーストフードチェーンの
 基本コンセプトを作りあげます。
 (この時点で51歳)

このレストランの目玉商品が、オリジナルレシピで作るフライドチキンでした。
しかし、この店が大繁盛になりケンタッキーフライドチキンのの原型になるわけではありません。
1955年、コービンの町はずれを通過する高速道路が開通すると、元々の国道沿いに
 立地していた、サンダースのレストランは売り上げが激減してしまいます。

 60歳を過ぎていたため、カーネルサンダースは引退を考えるが
 受け取る年金が月に105ドルと知り、愕然とします。

そしてついに1956年、維持できなくなった店舗を売却るも、負債を返済した後、手元に残った財産はほとんどなし。

ここから、
 カーネルサンダースはなんとケンタッキー・フライドチキンのレシピ販売に専念
したビジネスを始めます。 (この時点で65歳)

これが、ケンタッキー・フライドチキンのフランチャイズ(FC)展開の始まりでした。

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以後サンダースは、FCビジネスの普及に努め、1960年には(この時点で70歳)、
アメリカとカナダで400店舗、1964年までに600店舗を超えるFC網を築き上げるのです。

サンダース自身は、

「もしハイウェイ建設がなかったら、私はケンタッキー・フライドチキンを
始めなかっただろう」

と語っていたそうです。
苦心して育てたビジネスが立ち行かなくなっても、自分が65歳という年齢になっていても、
決して絶望せず、そこに残っていた希望(フライドチキンのレシピ)

知恵(FCチェーンの構築)で、人生を最後まで力強く生きぬいた、カーネル・サンダース。

きっとカーネルがもっていた力に「グリッド(やり抜く力)」があるのではないでしょうか?

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